今シーズンは大変でした。

11月12日、最後のお客様をお送りして、今シーズンの営業を終わらせていただきました。ご利用をいただいた皆様には感謝申し上げます。

5月連休過ぎの会長(父)の死、下旬の女将(妻)の入院、そして支配人の病気の治療なども大変でしたが、従業員不足により、お客様に外来の営業(ランチなど)が提供できない日々が続き、申し訳なく思っております。

しかし、今年は天災が殆どなく、コロナの間待っていていただいた日本と海外のお客様が大勢来ていただき、有難いシーズンでした。来期はしっかりと準備をして、お客様に迷惑をかけることが無いようにする所存です。

GoToトラベルと地域クーポン

10月になり、GoToトラベルで予約されたお客さんが使っていただける「地域共通クーポン」をチェックイン時に配るようにとの通達を受け、準備をしていたものの、3日前になってもクーポンが届かない。

届いたと思ったら、クーポンのみで、クーポンに押す、使用可能な県を示すスタンプや、日付を押すスタンプが入ったスターターキットが届かず、隣のホテルから借りたり、日付印は自前で購入する羽目になった。

後で聞くと、隣のホテル(そんなに規模は変わらない)にはクーポンが4000枚届いたそうだ。我が家の1000枚は、一日平均50枚以上なので20日ももたない。切れそうになる一週間も前に事務局に注文したが、切れる2日前に届かず、事務局に電話すると、徐々に発送しているとのこと。どうにもならないので、長野の事務局の電話を探し当て、電話すると、本日宅急便で出すので、明日届くという、有難い対応をしていただき、事なきを得た。

その後、スターターキットは、10月末から、徐々に発送すると書かれた文面と、スタンプの代わりのシールが届いたが、スターターキットが着くころには、今年の営業は終わっている。事務局の各セクションの連絡が全然取れておらず、遅れを招いていると思われる。こういうのも縦割りの一種かも・・・。

ニュースでは、事務局はJTBなどの大手旅行社から、大勢の社員が出向しており、賃金は平均4万円ということだ。指示する事だけは、立派だが、行うことはお粗末である。相当優秀な方達だろうから、賃金に文句は言わないが、給料に見合った仕事をしてほしい。

今、一番の懸念は、立て替えている35%の宿泊代と、売店などで使用していただいている、クーポンが、いつ換金されるのかということだ。1000万の宿泊があっても、現在は650万の収入しかなく、カード払いも多いため資金繰りに苦慮している。カードは二週間ほどで振り込まれるからいいが・・・

8月にお泊り頂いたお客様が、また来てくれたので聞くと、8月に自分で申請した35%分が、まだ振り込まれていないとのこと。三か月たっても振り込まれないということは、私たちの分は年内に入るのかどうか心配になる。

説明会の時にも、事務局に質問したが、お客様が35%を申請する形を9月からも続けないのか?との問いに、続けません。との答え。

一番の受益者はお客様なので、お客様が申請すべきものだと思う。もちろん、間接的に私たちも客数の増加という利益は得ているが・・。

12月末の決算を控え、金策に走り回る日々が予想される。とにかく、早く入金の手続きをしてほしい。大手旅行社や、大きな資本のホテルは内部留保もあり、待てるのだろうが、小さな旅行社や、小さな宿は、待てずに倒産してしまうところも出てくるだろう。

まさに、GoToトラブルである。

GoToトラベルキャンペーンに思う

7月22日から前倒しされた「GoToトラベルキャンペーン」が始まった。コロナで疲弊している観光業界、特に宿泊業と旅行業を助ける目的でやっていただけるという趣旨はとても有難い。しかし、東京を中心として、全国的に感染が広がっている時期にやっていいものか、疑問に感じる。ましてや、突然、東京を除外するということで、良いのだろうか?

Staynaviという会社からメールが来て、そこから登録するしかないように思え、施設登録を行った。後から分かったことだが、Staynaviは、第三者機関の一つに過ぎず、他の機関も選ぶことが可能だったのだ。

7月27日の説明会が長野で、やっと開かれ、参加したが、説明は地域限定クーポンについてであり、GoToについては、僅か20分程度で、webに載っていることばかり。質問時間も途中で終わりとなり、なんだかなぁ?

旅行会社との契約が殆どない我が家としては、自分のページの予約システムでなんとかやって、第三者機関に登録された予約システムの業者さんに、35%の請求分の内容を証明してもらうしかないのです。

その結果、8月一杯は、東京の方の予約を除いて、希望されるお客様に35%の請求をしていただくことが、全ての予約でできるのだが、9月1日からは、それができなくなり(なんでだ~!)上記のように、第三者機関から証明してもらえないものは、割引ができなくなってしまうとのことで、東京の方だけでも不公平なのに、電話で予約をされた方もできなくなり、本当に訳がわからず、申し訳ない気持ちになってしまいます。

もともと、大きな旅行会社さんを優先して作られたシステムを、有難いことに、小さな宿屋にも恩恵があるように、色々と工夫をしていただいた結果、とても、頭の悪い私たちには理解が難しくなったのだと思う。

全てが後手後手に回っているコロナ対策も同じだが、もっと段取りを良くして欲しいとぼやいても、後の祭り! なんとかならんのか?

西糸屋のホームページが新しくなります。

4月23日の開業に合わせて、上高地西糸屋山荘のホームページが新しくなります。見栄えはもちろんですが、スマホへの対応や、天気予報の気温などは独自に設定しますので、正確な気温を自動的にお伝えできるかと思います。

今でも、英語や英語の予約システム(最近です!)にも対応していますが、さらに、便利にご利用いただけるようにしてゆく予定です。

乞う、ご期待!!

スマホとガラケー

もう、ガラケーから、スマホに変えて3年ほどになり、スマートウオッチというウエアブル末端まで使っているのだが、最近、電話機能は、ガラケーに戻すことにした。スマホに変えた当時は、電話がかかってきたとき、操作に慣れていないから、すぐに出れなかったり、間違って電話がかかってしまったりすることがあると思っていた。

しかし、今になっても、同じことが繰り返されることが分かり、また、スマホにアプリを入れるほど、反応速度が遅くなり、電話としての役割には程遠くなりつつあることに気が付き、スマホと同じサイズのsimが入るブルーツース付きの二つ折りのガラケーの白ロムを安く買い、普段は、ガラケーに入れて使い、スマホは、Wi-fiがあるところ(自分の環境では上高地でも自宅でも可能)で使うことにした。もちろん、スマホに入れて使うこともできる。

Docomoメールは、spモードの中で、スマホとガラケーを入れ替えることができるので、問題は無いが、カケホーダイが使えなくなったのは少し経済的に痛い出費だ。

さて、結果は・・・・ やはり、餅は餅屋である。 電話がかかってきたら、開くだけで出れるガラケーは便利だ。ブルーツースがついているので、車でのハンズフリー通話も問題ない。切るときも、たたむだけ。防水性も、スマホより高い。スマホは、とりあえず、電子手帳と、ネットを見るのに使っている。もうひとつ、大事なことは、ガラケーは電池が良くもつので、山登りや、災害時には有用だということである。山岳ガイドと消防隊長の私としては、ありがたい。

リーフに3年以上乗って感じたこと

 久々のリーフ(電気自動車)ネタです。すでに走行距離も53000kmを超え、松本~上高地往復もかなりの回数を行って、現在に至っていますが、その中で感じたことです。

 松本の自宅と、上高地に、普通充電器はあるので、あまり電欠の不安は感じたことは無いのですが、途中で買い物をしたりして、色々な場所を回ってから登ると、電池の残りが少なくなり、沢渡の急速充電器で継ぎ足すこともあります。(30分以内なので駐車も無料)

 直接、上高地に上る場合は、余裕の電池量なので、途中でかなり加速をしても大丈夫、坂道の追い越しは得意で、トルクが太いため、初期の加速が恐ろしくいい。でも、ずっとその速度で走っていると、見る見るうちに電池が減ってゆく(^_^;)

 ガソリンスタンドでも、急速充電器を置いているところがあり、一回入ったら、無料ということもあるのだろうが、店員さんの、俺たちの敵だみたいな冷たい視線をあび、勝手にやれみたいに扱われた。しかし、充電器は壊れており、充電できなかった。ほったらかしなのだろう。一方、日産のお店では、会員になっていることもあって、充電中に飲み物まで出してくれ、洗車もしてくれて、無料なのだ。

 しかし、必然的に寄らねばならない、ガソリンスタンドと違って、しょっちゅう寄るのはどうかという、変な遠慮が生まれ、空気圧の点検とか、細かいことをしてもらうのに、ちょっと「ずく」を出さなければならない。もっと、遠慮をしない性格ならと思う。

 電池の容量が70%以下になったら、電池を無料で取り替えてくれるそうだが、いまのところ、ほとんど変わっていないと思われる。まぁ、慣れてきて、電池を長持ちさせる運転ができるようになったこともあるのだが・・・

   最近の、ガソリンの高騰は顕著で、なるべく、エスティマハイブリッドは使わず、リーフを使うようにしている。いくら乗っても、一ヶ月の電気代は3000円ほどだから・・・

上高地にも春がやってきます!

ゴールデンウィークが終わり、とっても静かな毎日が続いています。ゴールデンウイークがあるので、除雪をして、無理やり山開きをしていますが、昔は、5月の中旬に準備に入り、ウエストン祭のころ、ようやく開業するのが普通だったのです。もちろん、山小屋さんもそうでした。

karamatsu0518.jpg

まだ、柳の緑がでてきただけですが、これから、カラマツの芽吹き、そして、例年なら、5月14日~16日にミネザクラが開花し、ようやく上高地にも春がやってくるわけです。

mine0515.jpg

それからは、色々な花々が咲き乱れる季節になります。特に、長く咲いているニリンソウは、見る機会の多い花です。

nirinso0604.jpg

個人的にも、5月中旬から6月初旬が一番好きな季節です。まだ、穂高の山々は雪に覆われ、雪解けで、梓川の水量も多く、上高地の里には、色があふれている季節だからです。特に、5月中旬は、連休直後ということもあって、空いていますので、お勧めします。

インドネシア・スマトラ島の火山

2月7日から13日まで、インドネシアスマトラ島の最高峰のクリンチ火山(3805m)に、日本山岳会信濃支部を中心とした、おじさんメンバー10名で登ってきました。前の週に、500kmほど北にある火山が噴火し、亡くなった方もおられるという状況で、8日は大雪になるだろうという中、関空から、お昼に出発し、夕方にジャカルタ空港に着きました。

jakalta.jpg

空港の近くのホテルに一泊して、2月8日、ジャワ島からスマトラ島へ飛び、余計な荷物を、ガイドの方の親戚の家に預けて、火山のふもとのケルシック・トゥオ村(標高1500m)に向かうものの、私が持ってゆく荷物を、庭に置き忘れて戻ったり(^-^;、車が4回ほど動かなくなって大変な7時間のドライブとなった。途中で、この地方のパダン料理の食堂で昼飯。カレーの中に、鶏肉や、魚の頭が入っていて辛いが、好みの味である。(^^)/

padan1.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとか、登山基地のケルシック・トゥオ村の簡易宿泊所(なぜかホームスティという名・許可が要らないのかも)に泊まった。ご主人は、労働事故に対する対処を行う仕事をしており、立派な救急車?でご出勤、朝と晩だけ、奥さんの作った食事をサーブしてくれる。

 kerincimosk.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここらへんは、イスラム教なので、そこらじゅうに、モスクがあり、何故か朝4時半から5時半まで、馬鹿でかいスピーカーのお祈りの音で起床させられてしまうのだ。ビールなども、自由には飲めず、途中の売店で買っていって冷やしてもらうか、食堂などではボーイさんに、周りに気を使いながら、買いに行ってもらうのだ。山は、良く富士山と似ていて、1.5倍くらいに大きくした感じだ。森林限界は、3200mくらいとのこと。

2月9日、荷物のポーターの件で、もめて、出発時間が1時間ほど遅れ、なんとか出発。無理やり10人乗りに改造したワンボックスの屋根の上に、荷物と、人間が3人乗った。なんにもステイもなく、細い紐一本にしがみついているだけだ。オイオイ大丈夫かよ・・・(^-^; 写真はあるのだが、国際問題に発展すると困るので、ここには載せません。

ジャガイモ畑の中にある、登山口(1700m)より登山開始。ここらへんは、お茶畑や、シナモン畑、富士山みたいな山も見え、まるで、静岡みたいな感じ。今日は3300mまでの行程である。最初は、熱帯雨林のジャングルの中を行く。

rain_forest.jpg

 

様々な、鳥や、サルの声を聴きながら、ゆっくりと登って行く。昨日は土曜日だったので、地元の学生のパーティーも何パーティか登っていて、朝登頂を果たした彼らが降りてきて、挨拶をする。

 

young_student.jpg

 

きっと、お金持ちの大学生に違いない。実は、上高地にも2年ほど前から、インドネシア人の若いグループが泊まりに来るようになったので、彼らは、将来のお客様かもしれない。装備もなかなかいいものを持っていた。初老のパーティーを見てびっくりしただろう。

ジャングルを抜けてからが地獄であった。雨季は終わったばかりだとのことだが、ルートがひどい。いうなれば、泥の溝である。それも幅が狭く、人一人がギリギリで通れ、高さは5mはあるだろうか。ところどころオーバーハングになっており、なんとか周りの木々を利用して高巻きをするので、体力を消耗するし、泥だらけだ。これが、200mくらいなら、日本にもあるが、標高差で700m、距離では3キロは続くのである。

まして、泥のルートの中に、真新しいペットボトルや、お菓子の包装紙などが捨て放題になっていて、とても写真を撮ろうとなどは思えない有様だ。さっき会った、若者たちを教育しなおさなければならない。やっとアタックキャンプにたどり着く手前が、またひどい、キャンプのごみは捨て放題、それが雨で、泥溝の中に流れ込んでいる。サウルコルのごみどころではない! このルートは、 Be patient! と名付けよう。学生たちに清掃登山するように言おう! 本当に国立公園か? でも、日本アルプスの50年前は・・・

 

camp_site.jpg

 

2月10日、夜半から強い風がテントを襲ったが、朝になると少し弱まって、まぁまぁのアタック日和である、4時過ぎにヘッドランプと、ヤッケなどを身に着けて出発。ボロボロの火山岩の中の溝に出たり入ったりしながら、高度を上げる。ごみも少なくなって、気分がよくなってきた。

morning.jpg

 

3750mを超えると、晴れているはずなのに、ガスが周囲を覆う。息が苦しいというより、咳がでる。300m下の火口からの亜硫酸ガスだ。焼岳の硫黄ガスより強烈なので、皆、口を押えている。6時20分に頂上に着いた。朝日がまぶしい。

sunrise.jpg

 

 

頂上では、地元のガイドさんやポーターさんたちと、五輪真弓の「心の友」を一緒に歌った。日本では、あまり知られていないこの歌も、ここインドネシアでは、第二の国歌とも呼ばれているらしく、若い人もメロディは知っていた。

top2.JPG

top.jpg

 

下山は、皆早いが、滑りやすく、ストックを使っても、難渋した。しかし、眼下に広がる展望は素晴らしく、アタックキャンプまでは、快適な下山だった。頂上近くから、Facebookに画像を送ることができた。松本は、50センチも雪が降ったとのこと。帰ったら女房に文句をいわれそうだ。

cloud_sea.jpg

from_top.jpg

 

アタックキャンプで、とってもしょっぱい、ラーメンの朝ごはんをいただき、また、地獄のようなルートを下山して、ヘロヘロになって、登山口へ降りると、ジャガイモの取入れをしたお兄さんが、モトクロッサーで、運搬するところだった。おそらく50㎏を5袋は一台に積んでいるだろう。素晴らしい運転技術なのだろう。バイクは壊れないのか心配だ。

potato.jpg

 

帰りも、宿泊所まで、ワンボックスに10人と、屋根の上には、荷物と、人間が4人(^-^;、良く振り落とされないもんだ。

さっそく、冷やしてもらったビールで乾杯したのは言うまでもない。

残念ながら、宿泊施設にシャワーはなくて、体を拭いただけだけど、ビールさえあれば、満足満足(^◇^)

rice.jpg

 

2月11日、滞在した村を後に、パダンまで、7時間のドライブ。帰りは気楽なものだ。暑いけれど、途中ののどかな農村や、スマトラ王朝発祥の宮殿?を見学したり、また、途中の湖が3つある所を通ったりで楽しめた。

 

lake.jpg

mazda.jpg

 

村から、パダンまでの移動に使ったワンボックス。スズキのアリーナという7人乗りだ。はっきりいって、自家用車も、トラックも、日本車しか走っていないのだ。

 

パダンのホテルで、やっとシャワーを浴び、夕食のレストランへ、例によって辛いパダン料理を食べるが、最初ビールはダメと言われ、しょげていると、終わるころになってやっと出してくれた。どっかに買いに行っていたのだろう。今回は、タラコのカレー漬けみたいなものも出た。

padan2.jpg

 

皆疲れているらしく、部屋でも、あまり持ち込みのウイスキーは飲まずに、寝ました。やっと、ホテルのWi-Fiが使え、ソチオリンピックのことが、しっかりと分かるようになった。なにせ、こちら南国では、冬期オリンピックなど、誰も関心があるはずもなく、どこ吹く風であった。そういえば、子供の長野オリンピック休みで、座間味にクジラを見に行き、非県民をしたこともあるが、暑い中でも、原田がジャンプを跳ぶのを、テレビでしっかり見ていたことを思い出す。

2月12日、今日は、ブキティンギという観光地へ出かける。あまり観光には興味がないのだが、ごみが落ちていそうもないところへ行けるのはうれしい。

musee.jpg

 

ここの、ネイティブ民族である、ミナンカバウ族の伝統的な宮殿。水牛の角のような、屋根が特徴的だ。

 ホテルには戻らず、夕方の飛行機で、ジャカルタ、トランジットで、さらに、バリ島のデンパサールに飛び、深夜の便で、関空へと帰還。2月13日朝、そのまま、まともな10人乗りのタクシーで、松本へ帰りました。14にの午前中、私は、さっそく大雪になる前に上高地へ施設点検に行ってきました。

 14日の午後からの大雪は、みなさん、ご存じのとおり、松本で75センチも降って、休む暇もなく、雪かきに追われました・・・( ;∀;)

下山です。

霙の中の閉山式も終わり、夕方にはまた、白い穂高が顔を見せてきました。ブログは、落ち着いて書かないとダメな性格のため、普段は、ツイッターとフェイスブックで上高地をご紹介してきましたが、今は、お客様も、従業員さんも誰もいない、西糸屋に一人居ます。これから、自分の荷物と、残った山荘の荷物を片づけて、明朝下山する予定です。

 火災報知機のある部屋に寝ているので、火災や誤動作におびえる必要もない日が、やっとやってきました。

今シーズンも、色々なことがありました。入山直前の母の死、時期的なこともありましたが、本人の希望で、身内のみで、慌ただしく葬儀を済ませて、這う這うの体で開業にこぎつけたのが昨日の事のようです。急性心不全だったので、本当に晴天の霹靂でした。吹雪の開山祭でシーズンが始まりました。

 6月の大雨で、梓川が、久々にあふれたことも記憶にあります。今年は、山々の残雪が多くて、大した雨でもないとおもっていたのに、慌てました。これからは、今までの天気に対する、今までの常識が通用しないようになるかもしれません。やはり、人間は自然に対してとても小さいものなのでしょう・・・

 登山シーズンになると、従業員の皆さんは、それぞれ目的を持って、自分の山々へ出かけてゆきます。過去の少ない経験から、アドバイスをしたり、許可を出したりするのが私の役目ですが、実は、うらやましくて仕方がありません。シーズン中(特に5月中)には、穂高のトレースを双眼鏡で眺め、くやしがったりしておりました。(^_^.)

山に入るのは、一人で、夜遅くなった人を迎えに行ったり、捜索をしたりする時だけになってしまいました。下山したら、2月に向けてトレーニングを開始する予定。どこを登りに行くかは、今のところ秘密です。昨年のように、足のしびれ(坐骨神経痛?)もないので、まともに登れるかも?例年のように冬の3000Mを目指します。一応ガイドですから・・・

 商売的には、震災や原発で、お客様が減った2年前からの負債が結構大変で、今年だけを見れば、まぁまぁなのかとは思いますが、苦しい年でした。直さねばならないところは、いっぱいあるのですが、少しずつしかできず、心苦しい限りです。

 一方、震災や原発で、3分の1まで減っていた外国人(主に英語圏の個人)のお客さんが、昨年は2倍に、そして、今年は、さらにその2倍に増えてきたことは、これから希望がもてそうですが、もっと、しっかりとした対応を考えなければいけない時代が来ているようです。

上高地としても、色々な問題を解決していかなければなりません。徳澤か横尾が、昔の上高地になり、登山ブームで、大勢の人が山々に向かっており、また、上高地は大勢の日帰りがメジャーになってきている時代ですが、災害に対しては、上高地は、やはり町ではないのです。焼岳の噴火にも備えなければなりません。

 色々と書いてきましたが、とりあえず、今年無事シーズンを終えることができたのは、見守ってくださった皆様のおかげだと思っております。本当に有難うございました。 来シーズンまでさようなら(^_^)/~

バックカントリースキーの履歴書3

 あまりに、ブログの更新が遅いので、周りの皆さんから顰蹙を買い、スタッフブログを開設して、スタッフに書いてもらうことにしました。

さて、履歴書1と2に書いた、1978年「槍~立山スキー縦走」のあと、アラスカに渡り、植村直己さんも登った、サンフォードという5000m程度の山をスキー登山し、帰国。 その後、シャモニでテント生活を2ヶ月ほどやりながら、モンブラン・ブレンバフェースや、ミディ南壁など、そこらへんの岩場を登り、冬はスイスに移動して、山岳ガイドさんの家に下宿させてもらい、スイスの色々な山を一緒にスキーで滑りました。この間に、故森田勝さんの、グランドジョラス単独登攀のサポートに出かけたりもしました。

3月には、ローゼンラウイ(グリンデルワルドの反対側)から地元のガイドたちに混じって、一日でヴェッターホルンをスキー登山することができました。しかし、バテました。4月と5月には悪天候のため、2回にわたる攻撃で、シャモニ~ザスフェのオートルートを、なんとか滑り終え、年貢の納め時と、帰国して就職しました。

その後、スキーでは、3月の畳岩の中央ルンゼも、登って滑ったのですが、なにしろ、「落ちてきたら拾ってやる」とルンゼの入り口で、犬と待っていた父が、コンパクトカメラで撮った私が点のように写っている写真しかないので、その後、今頃の季節に滑った、奥穂直登ルンゼ~前穂北尾根3・4のコル~奥又白C沢~松高ルンゼの写真があったので、載せておきます。もちろん若かりし時です。

csawa1.jpg

北尾根3・4のコルからC沢へドロップ

deai.jpg

滑り終えて・・・ 足元は地元民の長靴に変わっている。