日本ジカが侵入してくる?

最近の県内ニュースの中でも、注目に値するのは、日本ジカの問題です。乗鞍・上高地地区の近くでも、目撃例があり、南アルプスや、美ヶ原・霧ヶ峰などのように、侵入されたら、植生が荒らされてしまうのは日の目を見るよりも明らかです。美ヶ原では、すでに、100頭程度の群れも、写真に撮られています。

2月20には、上高地や山小屋関係者で、各官庁や県などに早期対策の陳情に行き、環境省・森林管理署・県などは2月23日に連絡会議を開いていただき、検討をしていただきました。

もし、上高地へ日本ジカが入ってきてしまったら、大変なことになってしまうと思います。ニリンソウなどはすぐに食べられてしまうと思いますし、そこらじゅうが踏み荒らされてしまい、繁殖力が旺盛なだけに、どんどん数も増えてしまうでしょう。

私たちは、日本ジカの前に、ニホンザルやクマやマガモなどで、苦い経験をしてきました。マガモはもうどうしようもありませんが、昔は人の近くには来なかったのです。それが、今では、観光客がベンチでお弁当を広げていると、足をつついて餌をねだるまでになってしまいました。

サルも昔から山の中には居たのですが、15年ほど前から、どんどん人の世界に近づき、全然人を怖がることもなく、時には、人を威嚇するようになってしまいました。もちろん、まだ人から食べ物を奪ったり、襲ったりはしていませんが、母親にくっついている赤ちゃんザルが可愛いからといって、餌を与えたりすれば、必ずそうなってしまします。

私は、当初より、サルが西糸屋に近づいたり、ベランダに上がってきたりしたときは、観光客に白い目で見られながらも、必死で追っ払っていました。しかし、その頃、まだ環境省は、動物保護を盾に、積極的にサルを追っ払うことを勧めず、調査をすると言っていたのです。さらにサルが近づいてしまった5年後からやっと積極的に追っ払いなさいということになったのです。サル年の私も、かわいそうだと思いながらも、続けています。

言うまでもなく、上高地は、鳥獣保護区なので、カモシカなどの天然記念物はもちろん、狩猟は禁じられているのですが、今回の場合は、そうはいかないのだろうと思います。防護柵を作るにしても、無理がありますし・・・

場合によっては、私も狩猟免許をとらねばならないと考えますし、打ったシカの処理の仕方を確立されておかねばなりません。一部では、ジビエ料理として、食用に供されることもあるのですが、まだまだ、埋められているほうが多いと聞きます。

とにかく、早急になんとかしなければ、また、カモやサルの轍を踏んでしまうことになりかねません。なにか、いい知恵をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非教えていただきたいと思っています。

パプアニューギニアの山(5)と海

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2月9日、下山の日、やはり夜の間は、雨が降っていたが、朝は晴れた。朝日がきれいだ! 今日は、2時間半ほどの下りと、恐怖のランクルドライブで、ゴロカの町まで行く。夜は、酒が飲めるぞと意気込んで、皆下ってゆく。

ベティロッジまで下ると、すでに、2台のランクルが待っていた。 ガイドのドル君には、私も日本ではガイド(引退間近だけど)をやっているのだが、「きっと君はいいガイドになる」と言って別れた。日本に来たら寄ってくれとも言ったが、ベティさんはともかく、無理だろうなーー

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ドロドロの道を、ランクルは下ってゆく。途中、沢が押し出して、土砂崩れになっており、そこに村人がスコップを持って何人もいて、車は止まってしまった。復旧作業をしたので、通行料をくれと言っているらしい。ドライバーは仕方なく払って、なんとか通過。

相変わらず、ひどいハイウエイを、腰を痛めながらゴロカへ帰ってきた。

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ゴロカのホテルは、極楽鳥ホテル、地元の人と結婚した、日本の女性で、こっちのエージェントと土産物店をやっているMさんが、行きと同じように、チェックインなど全て円滑に処理してくれた。 へやに入って、シャワーを浴びたら、ホテルの前のスーパーで缶ビールを買って、とりあえず乾杯だ。残った焼酎や日本酒、そしてHさんのおごりのワインも加わって、宴会は続く(*^^)v

ディナーでもワインを2本飲んで、しっかりと寝てしまった。翌朝、Mさんに持ってきた長靴をもらっていただいた。こんな高価なものをとおっしゃったが、とても、D2で1200円だったとは言えなかった(^_^;)

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ゴロカの空港を後にポートモレスビー、そして、今日の宿泊先のリゾートである、ロロアタ島へ向かう。登山服から、ビーチにふさわしい服装になり、気分一新。3回も上高地に来ていただいている、ハワイのお客さんから5年前にいただいた、アロハシャツをやっと着ることができました。(日本では、恥ずかしくて着れない)

 ポートモレスビーに着いて、聞くと、ここのところオーストラリアから、サイクロンがやってきて大雨だったとのこと、今は曇っているだけ、俺たちはツイている(^-^)

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ロロアタ島へ渡る船に乗り込み、皆は2階の展望のいいところで景色を見ているが、私は1階で、今夜のディナーのカニを発見してしまった。20分ほどの航海で島の桟橋に着き、リゾートの人となる。

近くにはサンゴ礁があり、ダイビングやシュノーケリングで有名だそうなので、しょっぱい海水の嫌いな私も仕方なく小舟に乗せられて、近くの小島でシュノーケリングのお付き合いをした。水中眼鏡で見る海の中の魚はきれいだったけど・・・ 足の裏にサンゴでケガをしてしまった。ちゃんと靴を履けば良かった(;一_一)

ワラビーと、バカでかいハトが一緒に餌を食べているのを見ているとなごんだ (*^_^*)

夜は、お決まりの地元の皆さんのダンスを鑑賞しながらディナー、やっぱりカニがでてうれしー!

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2月11日、最終日、島を後に空港へ、ロロアタ島は、小さな島で、電気は40KWの自家発電機、そして、飲み水は、天水と、海水を真水にする装置で賄っている。船のキャプテンでもある白人のオーナーはダイビング好きが高じて、地元の女性と結婚して居ついてしまったようだ。今度来るなら、一週間ほど家族と滞在したいほど気持ちのいいところだった(昼間は暑いけど・・)

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さて、ここまで、独断と偏見に満ちた、拙稿をお読みいただいて、ありがとうございました。これからも、この経験を、上高地で生かして、お客様をお迎えしたいと思っております。 最後に、一緒に楽しんだ、旅の仲間に、そして旅を支えていただいた皆様に最大限の感謝を申し上げて、筆を置きたいと思います。

パプアニューギニアの山(4)

夜、雨が小屋のトタン屋根をたたく、結構激しく降っているようだ。深夜0時に起床して、朝食。まだ雨は止んでいない。朝食も、日本から持ってきた、モチとみそ汁、または、現地で売っていたカップ麺、私はカップ麺を選択したが、インドネシア産のミゴレンの汁そばで、なかなか難しい味であったが、なんとかいただき、1時出発。

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まだ、霧雨が止まないが、ヘッドランプの光を頼りに進んでゆく。ガイドは、肩掛けのサーチライトを使用している。雨具などはなく、普通のジャンバーだ。 アウンデ湖のほとりを過ぎて、登りにかかる。

この山の難しさは、高度順化ができていない場合にある。といっても、昨年、60歳代にして、チベットの6000M級の未登峰の難ルートを初登攀した現役クライマーMさんを除いては、順化できている者はいない。4000Mまでは、まっすぐ登るのだが、その後の500Mは、右上にトラバースをしながら、何キロも行かねばならない。

トラバースの途中で、高度障害になっても、簡単に高度を下げることができず、重大な事態になる場合を考え、わがリーダーは、4000M地点で、頭痛と吐き気があり、行動が遅くなった、新聞記者のTさんに引導を渡して、下山してもらった。正しい判断だと思われる。

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先頭のUさんが、ゆっくりのペースを守って皆を導いている。4000Mの怖さを知っているからだ。私も、1980年にインドヒマラヤのガンゴトリ山群が解禁された時、すぐに出かけ、若くて血気盛んだった私は、ポーターと同じ荷物を背負って4200Mまで一気に登ってしまい、当然高山病になって、担ぎ下ろされた経験があるから、有り難かった。

戦時中に墜落したB25の残骸を過ぎ、稜線に出たり、トラバースを繰り返したりしているうちに、空が白んで稜線がくっきり見えてきた。少し頭が痛いが、腹式呼吸を繰り返して登ってゆく。アンテナの立っているニセピークを巻き込み、ウイルヘルム山の頂上が見えてきた。

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まるで、穂高の稜線のような感じで、全然違和感がない。左に回り込み、黒い花崗岩の、快適な岩を楽しみながら4508Mの頂上へ立つ。早い人は7時15分、ゆっくりの人は7時40分。

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結構風があり、気温は5度以下なので、寒く感じる。天候は高曇りで、景色は良く見えた。少し滞在し、下山を開始することには、お天気が良くなってきて、晴れてきてしまった。しかし、いつ悪天候になるか分からないので、あまりゆっくりすることもできない。

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晴れて、太陽があたってきたので、岩肌はどんどん乾き、日焼けが心配になるほどだ。夜中から行動しているのと、少し高度の影響が出ているのだろうか、眠い。特に、ガイドたちは、ほとんど寝ていないとかで、休みの時は横になって寝ている。暑くなってきたので、どんどん薄着になり、高度を下げる(といっても、あまり下がらない・・・)

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登るときには、見えなかった、人食い湖が見える。周りが赤いため、そういわれているそうだ。ここからは、どんどん高度が下げられる。だいぶ楽になってきた。

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周りが岸壁に囲まれ、荒々しい風貌の、アウンデ湖を過ぎ、お昼頃、全員が無事Aフレーム小屋まで下山した。昼寝をする者あり、散策するものありで自由に過ごす。いつも、酒酒とうるさい、このメンバーにしては珍しく、酒類を荷揚げしておらず、夜は祝杯を挙げることもなく語り合った。 (^。^)

パプアニューギニアの山(3)

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ベティズロッジのボイラー、これでお湯を沸かして、供給しているのだそうだ。

2月7日、鳥の専門家のUさんは、朝から大きな望遠レンズ付きの一眼レフを持って、極楽鳥を探しまわっている。

コンチネンタルスタイルのおいしい朝食をいただき、出発の準備にかかる。ポーターがつき(大体近くの部落の女性が多い)、シュラフなどの荷物を背負ってくれるので、小さなザックに雨具や水などを入れるだけ。申し訳ないようだが、これも、地元の雇用の場として、大事なことなのだ。

ポーターのほかに、アタックの日だけつくと思っていたガイドさんも、つくことになった。なんと、マンツーマンだ。昔はそんなことはなかったようだが、これも彼らの稼ぎの為だ。私のガイドさんは、ドル君、25歳の独身で、すでに17回ウイリヘルムに登っているという。英語は公用語なので、色々話そうとするが、お互いシャイ?なので、ボソボソと会話をする。右手に、刃渡り50センチくらいの山刀をぶら下げていて、ちょっと怖い(*_*;

朝、8時半頃出発、今日の行程は、3440Mのピュンデ湖ほとりの小屋までなので、上高地から岳沢よりちょっと上まで登る程度、高度の影響も出ないだろう。問題は、湿地帯の通過で、その為に日本からはるばる、長靴を持ってきたのだ。ひどい時は、膝までもぐってしまうこともあるという。

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金網に隔てられた、ベティさんの土地を右に見て、熱帯雨林の中、整備された歩道を進み、開けた場所に9時、そこから、いよいよ

湿地帯に入ってゆく。写真は、上から見下ろしたものだが、右側の樹林と湿地のコンタクトを登る。一回滑って、長靴の中に水が入ってしまったが、大したことなく、アウンデ湖下の滝へ。ガイドのドル君は、山刀を杖代わりにしたり、ブッシュを切りはらったり、しているが、時々、首の後ろに回していて、見ていて大丈夫かと思ってしまう。

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ちょっと登ったら、もう、Aフレーム小屋についてしまった。奥の小屋が、居住するところで、ちゃんとマットもあって、シュラフで快適に寝ることができる。手前の三角小屋は、昔営んでいた、黒部五郎小舎を思い出させる建物だが、食堂と、管理人の宿舎となっている。トイレは、別のところにあり、ポットントイレだが、屋根付きで、お釣りは来ない・・(^^ゞ ガイドさんたちは、別の掘立小屋に泊るらしい。 ピウンデ湖は、女の湖という。 周りが岸壁に囲まれておらず、穏やかなためらしい。小さな島が見える。

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一休みして、高度順化と偵察のため、アウンデ湖の上(3600M)まで登る。ほんとは、もっと上まで登りたかったのだが、ガイドさんたちもここでいいというので、仕方なく、引き返す。

夕食は、今夜のために、日本から持ってきたカレーのルーと、現地の方に頼んでおいた野菜や鶏肉を使って日本式のカレーを作って、明日のアタックに備える。リーダーのAさんは、キッチンの女性に適切に指示を与え、おいしいカレーを食べることができた。本当にありがとう! さあ、明日は11時間行程。 7時にはシュラフに入って寝てしまった。

パプアニューギニアの山(2)

2月6日、登山基地の町ゴロカ(東京をポートモレスビーとすれば、松本みたいなもの)を出て、地元の人たちがハイウエイと言っている道を、ランドクルーザー2台に荷物と、ガイドたちと9人が分乗して出発、5分もたたぬうちにタイヤの空気が無いのでと停車、これからに不安を感じさせる・・・

ここを走っている、自動車は、ほとんどがトヨタのランドクルーザー(トラックもある)で、他も、100%近くが日本車で占められている。あとで、その理由を知ることになる。他の車では走れないし、耐久性が持たないのだ。

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最初は、アスファルトのまぁまぁの道だったが、2,480mの峠を越えるころから、舗装がところどころ剥がれており、荷台にある、クッションのない簡素な横向きのシートに座っていると、時々突き上げるようなショックが腰を襲う・・・(@_@;) こんな道でも、アメリカのkenworth社のコンボイは、コンテナーを積んで爆走している。

聞けば、液化天然ガスのプラントを日本が受注して、その建設に向かっているらしい。生産量の660万トンのうち半分が日本用なのだそうだ。 T電さんも購入先だそうだ。つかまるところも無く、足を突っ張っているので、とても、車内では写真が撮れる状況ではない。 道端には、小さな売店?が並び、大勢の人がだだ歩いているか、バス(といってもトラックの荷台)を待っている。

なぜか、検問だけ一人前で、定員や、整備のステッカーを貼ってあるかなど、調べられ、一台は、フロントガラスを交換していて、ステッカーがなかったので、罰金を取られ、ドライバーが怒り狂ったそうな・・・

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ハイウエイと山道の分岐の町、クンデアワで、昼食をとり、いよいよ本格的な未舗装路となる。

ここにも、簡素な飛行場があり、ニューギニア航空の路線図にもあったので、飛行機でこれるかも知れない。 

雨季なので、最近起きたばかりの、土砂崩れ現場をなんとか通り抜けてゆくが、振動はハイウエイの比ではない。全身でへばりついている感じで、休んだ時しか写真が撮れない。不思議なことに、道幅は昔の上高地線の2倍はあるので、谷底に落ちる不安は、あまり感じないで済んだ。

ランクルでも、通れるか通れないかの場所には、何故か村の人たちが何人か立っている。止まったら、押してくれるらしい。見返りは求めないのだろうか??

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突っ張っていた、腕も足も疲れ果て、ケグスグル村のベティさんのロッジ(2700M)に着く。歓迎の花の文字がうれしい。 今後来る方は、車に乗るときには、低反発マットとヘルメットを装着することをお勧めする。(>_<)

ちょっと手前の、マウントウイリヘルムハイスクール(寄宿学校)の前に、ブッシュ飛行場があったので、クンデアワから、アラスカのアプローチに使うような、軽飛行機かヘリをチャーターするのもひとつのやり方だと思う。

ベティさんは、3か月ほど、松本近くの明科町で、マスの養殖を学んでいたことがあるそうで、全員が松本の人間だと言ったら、大歓迎を受けた。明科では、いつも、金曜日には、みんなで飲みに行っていたそうだ。

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早速、ベティさんの自宅のそばの、養殖場に案内してもらう。 本格的なもので、びっくり。5m位の円形のプールには、何万匹いるのか分からないほどのマスの稚魚が泳いでいた。 JAICAの協力も得て、作ったが、一回、川の決壊ですべてを失ったが、再度作ったそうだ。まさに、肝っ玉母さんだ。ベディさんのロッジは2段ベッドの部屋だが、清潔で、マスのスープやムニエルやフルーツ、デザートまで、食事もおいしい。とても山の中とは思えない。

パプアニューギニアの山(1)

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2月4日から1週間、パプアニューギニアの最高峰である、ウイルヘルム山(4508m)に登ってきました。パプアニューギニアは、オーストラリアのすぐ右上にある大きな島で、左半分はインドネシアになっています。

第二次世界大戦の時は、ラバウルやレイなど、日本軍が無援の戦いを強いられ、多くの日本兵が亡くなった悲しい歴史のあるところでもあります。

仲間は、日本山岳会信濃支部で、何人かは同じガイド組織に属しており、年齢は、50代後半から70代前半までの8人と、毎日新聞の記者さんでした。年はとっていても、皆、現役で山を続けており、8000mを登ったことがあるAさんをはじめ、ほとんどの隊員が5000m以上を経験しており、天候を除けばあまり不安は感じませんでした。

日本から、6時間半ほどの直行便で、首都ポートモレスビーに早朝着き、国内線に乗り換えて、1600mの高地にある町、ゴロカまで、一気に入ってしまうので、暑さに弱い私でも、なんとかなりました。しかし、-10度から、30度は、なかなか順化は難しかった・・・

 

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40人乗りの双発機は、ネパールの、カトマンズからポカラの時に乗ったものと同じものでした。道路や鉄道が通じていないので、地元の人が、野菜や果物、生活必需品と一緒に乗り込んできました。

1時間半ほどのフライトで、ゴロカの空港に着くと、金網の向こうで、学校の制服を着た、若い女の子たちが、大勢、わんわんと泣き叫んでいて、びっくりしました。まさか、この土地では、これが歓迎の挨拶なのだろうかと思いましたが、実は数日前にレイ沖で沈没したフェリーの乗客の中に、同級生がいて、その遺体が、私たちとともに運ばれてきたのでした。知らなかったこととはいえ、失礼なことを考えてしまったものです。ごめんなさい。

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早速、ホテルにチェックインして、町のマーケットへと見物に出かけました。果物(特にパイナップルが旬)はもちろん、日本にある野菜はなんでも、そして、シダ類みたいなものも売っており、なんか親しみを感じましたが値切りは禁止だそうで、みんなが同じ値段で、同じものをいっぱい売っているのだから、競争原理が働かないのではと思うのですが、そんなことは、現地の人にしてみれば、変な東洋人の考えることでしかないのでしょう?

ホテルに戻って、日本にローミングの携帯電話で連絡しようとしましたが、できません。ネット接続もできると書いてあったのですが、最近の悪天候で、壊れているそうだ。携帯電話だけでも、山に持って行こうという思惑はここで挫折してしまった。山に入ったら連絡手段はないのだ。(^_^;) まぁ、昔と同じだと思えばいい・・・

 

 

 

6月9日上高地音楽祭のゲスト決定

第28回上高地音楽祭のゲストが決定しました。 尾崎亜美さんです。 アミーゴ(鈴木亜美さん)ではありません。(^^ゞ 知っている人は知っているアーティストです。

個人的には、大学を出てすぐ、1978年の春、アラスカの山を登りに行ったときに、カセットで聞いていた、「初恋の通り雨」が印象に残っています。「嵐を起こして」も好きな曲でした。色々な素晴らしい歌も歌っていますが、なんといっても、他のアーティストに提供した歌がまた素晴らしい!

 今は、篠山紀信さんの奥さんになっている南沙織「春の予感」、杏里「オリビアを聴きながら」、高橋真梨子「あなたの空を翔びたい」、松田聖子「天使のウインク」などを提供しているほか、プロデューサーとしても草分け的な存在なのです。

 上高地の野外で、どんなステージを提供していただけるか、本当に楽しみです。6月9日午後1時~3時に小梨平キャンプ場の特設ステージ(雨天はビジターセンター)です。 入場は無料ですので、是非、聴きにいらしてください。