バックカントリースキーの履歴書2

1978年3月16日、最初は上高地までの予定だったので、沢渡を9時過ぎに歩きだすが、天気を考えて、無理してでも槍沢ロッジまで行くことにした。重荷と、桟道そして、暗闇中のヘッドランプのスキー歩行で、着いたのは夜8時前になってしまったが、バテていても、槍沢を朝になる前に登ってしまわなければ、雪崩の危険性があるので、朝4時前には出発し、坊主の岩小屋でアイゼン、槍の頂上は登らず、樅沢岳へ、最初のスキー滑降を終えて、16時に双六小屋。

18日、2日間頑張りすぎたので、今日は三俣蓮華を越えて、なつかしの黒部五郎小舎までとする。

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快適に稜線を、三俣蓮華岳に向かう。きつい登りは、シールが効かず、腕がパンパンになる。三俣蓮華からは、最初はクラストしていたが、快適なスキー滑降で、最後はパウダー (^。^)

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黒部五郎岳をバックに快適に滑る。

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クラストしていて、ちょっと緊張する。

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雪に埋もれた、黒部五郎小舎、冬期小舎のみが出ている。右上の斜面のパウダーを降りてきたのです。

19日は悪天で滞在、20日には黒部五郎岳を越えて太郎小屋まで・・・ 頂上からの下りの最初は氷になっていて、少し流されてしまって(滑落ともいう)緊張するが、太郎小屋までは、ほとんど登りが無くて、スキーの上に立っているだけで着いてしまった。

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21日、天気が崩れそうだが、太郎小屋に、単独で折立から登ってきていた愛知大山岳部OBの方と一緒に薬師岳へ向かい、頂上で写真を撮ってもらう。この日は、この後吹雪となり、スゴ乗越まで。22日と23日と吹雪で滞在。食料をたくさん持ってきて良かった。

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24日、スゴから五色ケ原まで、大きなシュカブラと越中沢岳の登りに苦労して、辿りつく。

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25日、ザラ峠を越え、鬼岳でザイルを組む。浄土山の頂上で剣をバックにゆっくり休み、一の越へ

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26日、一の越から、雄山をアタックし、天狗平の手前までは、シールを付けたまま。ここでシールを外し、ワックスを塗って待望の大滑降だ。薬師をバックに、軽くなった荷物で、美女平まで飛ばす (^。^)

この夜は、富山のビジネスホテル泊りだったが、黒部五郎小舎の見回りの報酬?の2万円を握りしめ、今ならすぐ・・・クラとか・・・パブに行くところだが、35年前は食い気のみ。とんかつ屋から始まり、うなぎ屋、そして寿司屋と酒もほとんど飲まずに食いまくり、最後はパフェで締めた。 不思議なことに腹をこわさなかったのは、若かったからだろうな(^_^;)

ついでですが、卒業が危ぶまれていた私は、この山行中に卒業できることになっていたそうな。もちろん卒業式も出れずに・・・

バックカントリースキーの履歴書1

そろそろ、各地のスキー場も、終了を迎えようとしています。でも雪の多かった北部のスキー場は、延長するところもあるようです。

ごれからは、本格的にバックカントリースキーのシーズンになります。昔は、山スキーなどと言っておりました。この季節には、子供の頃から、父に連れられて、スキー場を飛び出し、鈴蘭~乗鞍岳~平湯~西穂山荘~上高地、妙高山、栂池~蓮華温泉(雪倉岳)などは、高校生くらいまでで登りました。道具は、ほとんど、ゲレンデスキーのもので、足の上がるビンディングなどは、親父しか履いていませんでした。

大学で山岳部に入りましたが、山スキーは盛んではなく、一年生で冬の剣の早月尾根を登った時などは、個人装備と団体装備のほかに、嗜好品の一部として190センチのスキーを担いで行き、帰りに荷物をいっぱい背負わされて、スキーができず、番場島から伊折まで、先輩が自分のスキーで滑ってゆくのを悲しく見送った覚えがあります。(;_;)/~~~ でも、早く着いて、待っていた先輩は、風邪を引いたそうな・・・ 天罰?

 このころ、思いはヨーロッパのオートルート(シャモニ~ツエルマット~ザスフェ)にありましたが、心に秘めて、岩登りや冬の縦走などの合宿を頑張っていました。4年生になり、リーダーになったものの、山スキーを主体にするわけにもいかず、たまたま、小樽に居たことがある一年生が入ってきたので、特に可愛がって鍛え(^_^;)、春合宿が無事終了した後、2人で個人山行として、槍ヶ岳~立山のスキー縦走をすることができました。1978年の春の事です。

 なにせ、二十歳やそこらの2人が3月に黒部の奥地に入るのですから大変です。当時は、携帯も無く、孤立無援になることも考え、営んでいた黒部五郎小舎に一週間分の食料と酒(合宿では禁止)をデポしておいたのですが、それでも荷物は20キロを超えました。スキー登山靴などはなく、バーゲンで買ったメタルのショートスキー(折れてもなんとか滑れるのではと思った)にその頃出始めた、ワイヤー式のジルブレッタ(換えのワイヤー3本)を付け、シールなどは、3000円で売っていたナイロンと布のをナイロンの部分を外して、カーペット用の両面テープで張り付け、立山の一の越まで貼りっぱなしで、滑る時も大丈夫でした。と書くと、快適なように思われますが、滑るのはいいとして、登るときにも滑っていまい、腕の力で登ったようなものです・・・  2に続きます