
2月9日、下山の日、やはり夜の間は、雨が降っていたが、朝は晴れた。朝日がきれいだ! 今日は、2時間半ほどの下りと、恐怖のランクルドライブで、ゴロカの町まで行く。夜は、酒が飲めるぞと意気込んで、皆下ってゆく。
ベティロッジまで下ると、すでに、2台のランクルが待っていた。 ガイドのドル君には、私も日本ではガイド(引退間近だけど)をやっているのだが、「きっと君はいいガイドになる」と言って別れた。日本に来たら寄ってくれとも言ったが、ベティさんはともかく、無理だろうなーー

ドロドロの道を、ランクルは下ってゆく。途中、沢が押し出して、土砂崩れになっており、そこに村人がスコップを持って何人もいて、車は止まってしまった。復旧作業をしたので、通行料をくれと言っているらしい。ドライバーは仕方なく払って、なんとか通過。
相変わらず、ひどいハイウエイを、腰を痛めながらゴロカへ帰ってきた。

ゴロカのホテルは、極楽鳥ホテル、地元の人と結婚した、日本の女性で、こっちのエージェントと土産物店をやっているMさんが、行きと同じように、チェックインなど全て円滑に処理してくれた。 へやに入って、シャワーを浴びたら、ホテルの前のスーパーで缶ビールを買って、とりあえず乾杯だ。残った焼酎や日本酒、そしてHさんのおごりのワインも加わって、宴会は続く(*^^)v
ディナーでもワインを2本飲んで、しっかりと寝てしまった。翌朝、Mさんに持ってきた長靴をもらっていただいた。こんな高価なものをとおっしゃったが、とても、D2で1200円だったとは言えなかった(^_^;)

ゴロカの空港を後にポートモレスビー、そして、今日の宿泊先のリゾートである、ロロアタ島へ向かう。登山服から、ビーチにふさわしい服装になり、気分一新。3回も上高地に来ていただいている、ハワイのお客さんから5年前にいただいた、アロハシャツをやっと着ることができました。(日本では、恥ずかしくて着れない)
ポートモレスビーに着いて、聞くと、ここのところオーストラリアから、サイクロンがやってきて大雨だったとのこと、今は曇っているだけ、俺たちはツイている(^-^)

ロロアタ島へ渡る船に乗り込み、皆は2階の展望のいいところで景色を見ているが、私は1階で、今夜のディナーのカニを発見してしまった。20分ほどの航海で島の桟橋に着き、リゾートの人となる。
近くにはサンゴ礁があり、ダイビングやシュノーケリングで有名だそうなので、しょっぱい海水の嫌いな私も仕方なく小舟に乗せられて、近くの小島でシュノーケリングのお付き合いをした。水中眼鏡で見る海の中の魚はきれいだったけど・・・ 足の裏にサンゴでケガをしてしまった。ちゃんと靴を履けば良かった(;一_一)
ワラビーと、バカでかいハトが一緒に餌を食べているのを見ているとなごんだ (*^_^*)
夜は、お決まりの地元の皆さんのダンスを鑑賞しながらディナー、やっぱりカニがでてうれしー!

2月11日、最終日、島を後に空港へ、ロロアタ島は、小さな島で、電気は40KWの自家発電機、そして、飲み水は、天水と、海水を真水にする装置で賄っている。船のキャプテンでもある白人のオーナーはダイビング好きが高じて、地元の女性と結婚して居ついてしまったようだ。今度来るなら、一週間ほど家族と滞在したいほど気持ちのいいところだった(昼間は暑いけど・・)

さて、ここまで、独断と偏見に満ちた、拙稿をお読みいただいて、ありがとうございました。これからも、この経験を、上高地で生かして、お客様をお迎えしたいと思っております。 最後に、一緒に楽しんだ、旅の仲間に、そして旅を支えていただいた皆様に最大限の感謝を申し上げて、筆を置きたいと思います。
| 2012年02月15日 14:09
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登山
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夜、雨が小屋のトタン屋根をたたく、結構激しく降っているようだ。深夜0時に起床して、朝食。まだ雨は止んでいない。朝食も、日本から持ってきた、モチとみそ汁、または、現地で売っていたカップ麺、私はカップ麺を選択したが、インドネシア産のミゴレンの汁そばで、なかなか難しい味であったが、なんとかいただき、1時出発。

まだ、霧雨が止まないが、ヘッドランプの光を頼りに進んでゆく。ガイドは、肩掛けのサーチライトを使用している。雨具などはなく、普通のジャンバーだ。 アウンデ湖のほとりを過ぎて、登りにかかる。
この山の難しさは、高度順化ができていない場合にある。といっても、昨年、60歳代にして、チベットの6000M級の未登峰の難ルートを初登攀した現役クライマーMさんを除いては、順化できている者はいない。4000Mまでは、まっすぐ登るのだが、その後の500Mは、右上にトラバースをしながら、何キロも行かねばならない。
トラバースの途中で、高度障害になっても、簡単に高度を下げることができず、重大な事態になる場合を考え、わがリーダーは、4000M地点で、頭痛と吐き気があり、行動が遅くなった、新聞記者のTさんに引導を渡して、下山してもらった。正しい判断だと思われる。

先頭のUさんが、ゆっくりのペースを守って皆を導いている。4000Mの怖さを知っているからだ。私も、1980年にインドヒマラヤのガンゴトリ山群が解禁された時、すぐに出かけ、若くて血気盛んだった私は、ポーターと同じ荷物を背負って4200Mまで一気に登ってしまい、当然高山病になって、担ぎ下ろされた経験があるから、有り難かった。
戦時中に墜落したB25の残骸を過ぎ、稜線に出たり、トラバースを繰り返したりしているうちに、空が白んで稜線がくっきり見えてきた。少し頭が痛いが、腹式呼吸を繰り返して登ってゆく。アンテナの立っているニセピークを巻き込み、ウイルヘルム山の頂上が見えてきた。

まるで、穂高の稜線のような感じで、全然違和感がない。左に回り込み、黒い花崗岩の、快適な岩を楽しみながら4508Mの頂上へ立つ。早い人は7時15分、ゆっくりの人は7時40分。

結構風があり、気温は5度以下なので、寒く感じる。天候は高曇りで、景色は良く見えた。少し滞在し、下山を開始することには、お天気が良くなってきて、晴れてきてしまった。しかし、いつ悪天候になるか分からないので、あまりゆっくりすることもできない。

晴れて、太陽があたってきたので、岩肌はどんどん乾き、日焼けが心配になるほどだ。夜中から行動しているのと、少し高度の影響が出ているのだろうか、眠い。特に、ガイドたちは、ほとんど寝ていないとかで、休みの時は横になって寝ている。暑くなってきたので、どんどん薄着になり、高度を下げる(といっても、あまり下がらない・・・)

登るときには、見えなかった、人食い湖が見える。周りが赤いため、そういわれているそうだ。ここからは、どんどん高度が下げられる。だいぶ楽になってきた。

周りが岸壁に囲まれ、荒々しい風貌の、アウンデ湖を過ぎ、お昼頃、全員が無事Aフレーム小屋まで下山した。昼寝をする者あり、散策するものありで自由に過ごす。いつも、酒酒とうるさい、このメンバーにしては珍しく、酒類を荷揚げしておらず、夜は祝杯を挙げることもなく語り合った。 (^。^)
| 2012年02月15日 11:24
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登山
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ベティズロッジのボイラー、これでお湯を沸かして、供給しているのだそうだ。
2月7日、鳥の専門家のUさんは、朝から大きな望遠レンズ付きの一眼レフを持って、極楽鳥を探しまわっている。
コンチネンタルスタイルのおいしい朝食をいただき、出発の準備にかかる。ポーターがつき(大体近くの部落の女性が多い)、シュラフなどの荷物を背負ってくれるので、小さなザックに雨具や水などを入れるだけ。申し訳ないようだが、これも、地元の雇用の場として、大事なことなのだ。
ポーターのほかに、アタックの日だけつくと思っていたガイドさんも、つくことになった。なんと、マンツーマンだ。昔はそんなことはなかったようだが、これも彼らの稼ぎの為だ。私のガイドさんは、ドル君、25歳の独身で、すでに17回ウイリヘルムに登っているという。英語は公用語なので、色々話そうとするが、お互いシャイ?なので、ボソボソと会話をする。右手に、刃渡り50センチくらいの山刀をぶら下げていて、ちょっと怖い(*_*;
朝、8時半頃出発、今日の行程は、3440Mのピュンデ湖ほとりの小屋までなので、上高地から岳沢よりちょっと上まで登る程度、高度の影響も出ないだろう。問題は、湿地帯の通過で、その為に日本からはるばる、長靴を持ってきたのだ。ひどい時は、膝までもぐってしまうこともあるという。

金網に隔てられた、ベティさんの土地を右に見て、熱帯雨林の中、整備された歩道を進み、開けた場所に9時、そこから、いよいよ
湿地帯に入ってゆく。写真は、上から見下ろしたものだが、右側の樹林と湿地のコンタクトを登る。一回滑って、長靴の中に水が入ってしまったが、大したことなく、アウンデ湖下の滝へ。ガイドのドル君は、山刀を杖代わりにしたり、ブッシュを切りはらったり、しているが、時々、首の後ろに回していて、見ていて大丈夫かと思ってしまう。

ちょっと登ったら、もう、Aフレーム小屋についてしまった。奥の小屋が、居住するところで、ちゃんとマットもあって、シュラフで快適に寝ることができる。手前の三角小屋は、昔営んでいた、黒部五郎小舎を思い出させる建物だが、食堂と、管理人の宿舎となっている。トイレは、別のところにあり、ポットントイレだが、屋根付きで、お釣りは来ない・・(^^ゞ ガイドさんたちは、別の掘立小屋に泊るらしい。 ピウンデ湖は、女の湖という。 周りが岸壁に囲まれておらず、穏やかなためらしい。小さな島が見える。

一休みして、高度順化と偵察のため、アウンデ湖の上(3600M)まで登る。ほんとは、もっと上まで登りたかったのだが、ガイドさんたちもここでいいというので、仕方なく、引き返す。
夕食は、今夜のために、日本から持ってきたカレーのルーと、現地の方に頼んでおいた野菜や鶏肉を使って日本式のカレーを作って、明日のアタックに備える。リーダーのAさんは、キッチンの女性に適切に指示を与え、おいしいカレーを食べることができた。本当にありがとう! さあ、明日は11時間行程。 7時にはシュラフに入って寝てしまった。
| 2012年02月15日 09:30
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登山
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