インドネシア・スマトラ島の火山
2月7日から13日まで、インドネシアスマトラ島の最高峰のクリンチ火山(3805m)に、日本山岳会信濃支部を中心とした、おじさんメンバー10名で登ってきました。前の週に、500kmほど北にある火山が噴火し、亡くなった方もおられるという状況で、8日は大雪になるだろうという中、関空から、お昼に出発し、夕方にジャカルタ空港に着きました。
空港の近くのホテルに一泊して、2月8日、ジャワ島からスマトラ島へ飛び、余計な荷物を、ガイドの方の親戚の家に預けて、火山のふもとのケルシック・トゥオ村(標高1500m)に向かうものの、私が持ってゆく荷物を、庭に置き忘れて戻ったり(^-^;、車が4回ほど動かなくなって大変な7時間のドライブとなった。途中で、この地方のパダン料理の食堂で昼飯。カレーの中に、鶏肉や、魚の頭が入っていて辛いが、好みの味である。(^^)/
なんとか、登山基地のケルシック・トゥオ村の簡易宿泊所(なぜかホームスティという名・許可が要らないのかも)に泊まった。ご主人は、労働事故に対する対処を行う仕事をしており、立派な救急車?でご出勤、朝と晩だけ、奥さんの作った食事をサーブしてくれる。
ここらへんは、イスラム教なので、そこらじゅうに、モスクがあり、何故か朝4時半から5時半まで、馬鹿でかいスピーカーのお祈りの音で起床させられてしまうのだ。ビールなども、自由には飲めず、途中の売店で買っていって冷やしてもらうか、食堂などではボーイさんに、周りに気を使いながら、買いに行ってもらうのだ。山は、良く富士山と似ていて、1.5倍くらいに大きくした感じだ。森林限界は、3200mくらいとのこと。
2月9日、荷物のポーターの件で、もめて、出発時間が1時間ほど遅れ、なんとか出発。無理やり10人乗りに改造したワンボックスの屋根の上に、荷物と、人間が3人乗った。なんにもステイもなく、細い紐一本にしがみついているだけだ。オイオイ大丈夫かよ・・・(^-^; 写真はあるのだが、国際問題に発展すると困るので、ここには載せません。
ジャガイモ畑の中にある、登山口(1700m)より登山開始。ここらへんは、お茶畑や、シナモン畑、富士山みたいな山も見え、まるで、静岡みたいな感じ。今日は3300mまでの行程である。最初は、熱帯雨林のジャングルの中を行く。
様々な、鳥や、サルの声を聴きながら、ゆっくりと登って行く。昨日は土曜日だったので、地元の学生のパーティーも何パーティか登っていて、朝登頂を果たした彼らが降りてきて、挨拶をする。
きっと、お金持ちの大学生に違いない。実は、上高地にも2年ほど前から、インドネシア人の若いグループが泊まりに来るようになったので、彼らは、将来のお客様かもしれない。装備もなかなかいいものを持っていた。初老のパーティーを見てびっくりしただろう。
ジャングルを抜けてからが地獄であった。雨季は終わったばかりだとのことだが、ルートがひどい。いうなれば、泥の溝である。それも幅が狭く、人一人がギリギリで通れ、高さは5mはあるだろうか。ところどころオーバーハングになっており、なんとか周りの木々を利用して高巻きをするので、体力を消耗するし、泥だらけだ。これが、200mくらいなら、日本にもあるが、標高差で700m、距離では3キロは続くのである。
まして、泥のルートの中に、真新しいペットボトルや、お菓子の包装紙などが捨て放題になっていて、とても写真を撮ろうとなどは思えない有様だ。さっき会った、若者たちを教育しなおさなければならない。やっとアタックキャンプにたどり着く手前が、またひどい、キャンプのごみは捨て放題、それが雨で、泥溝の中に流れ込んでいる。サウルコルのごみどころではない! このルートは、 Be patient! と名付けよう。学生たちに清掃登山するように言おう! 本当に国立公園か? でも、日本アルプスの50年前は・・・
2月10日、夜半から強い風がテントを襲ったが、朝になると少し弱まって、まぁまぁのアタック日和である、4時過ぎにヘッドランプと、ヤッケなどを身に着けて出発。ボロボロの火山岩の中の溝に出たり入ったりしながら、高度を上げる。ごみも少なくなって、気分がよくなってきた。
3750mを超えると、晴れているはずなのに、ガスが周囲を覆う。息が苦しいというより、咳がでる。300m下の火口からの亜硫酸ガスだ。焼岳の硫黄ガスより強烈なので、皆、口を押えている。6時20分に頂上に着いた。朝日がまぶしい。
頂上では、地元のガイドさんやポーターさんたちと、五輪真弓の「心の友」を一緒に歌った。日本では、あまり知られていないこの歌も、ここインドネシアでは、第二の国歌とも呼ばれているらしく、若い人もメロディは知っていた。
下山は、皆早いが、滑りやすく、ストックを使っても、難渋した。しかし、眼下に広がる展望は素晴らしく、アタックキャンプまでは、快適な下山だった。頂上近くから、Facebookに画像を送ることができた。松本は、50センチも雪が降ったとのこと。帰ったら女房に文句をいわれそうだ。
アタックキャンプで、とってもしょっぱい、ラーメンの朝ごはんをいただき、また、地獄のようなルートを下山して、ヘロヘロになって、登山口へ降りると、ジャガイモの取入れをしたお兄さんが、モトクロッサーで、運搬するところだった。おそらく50㎏を5袋は一台に積んでいるだろう。素晴らしい運転技術なのだろう。バイクは壊れないのか心配だ。
帰りも、宿泊所まで、ワンボックスに10人と、屋根の上には、荷物と、人間が4人(^-^;、良く振り落とされないもんだ。
さっそく、冷やしてもらったビールで乾杯したのは言うまでもない。
残念ながら、宿泊施設にシャワーはなくて、体を拭いただけだけど、ビールさえあれば、満足満足(^◇^)
2月11日、滞在した村を後に、パダンまで、7時間のドライブ。帰りは気楽なものだ。暑いけれど、途中ののどかな農村や、スマトラ王朝発祥の宮殿?を見学したり、また、途中の湖が3つある所を通ったりで楽しめた。
村から、パダンまでの移動に使ったワンボックス。スズキのアリーナという7人乗りだ。はっきりいって、自家用車も、トラックも、日本車しか走っていないのだ。
パダンのホテルで、やっとシャワーを浴び、夕食のレストランへ、例によって辛いパダン料理を食べるが、最初ビールはダメと言われ、しょげていると、終わるころになってやっと出してくれた。どっかに買いに行っていたのだろう。今回は、タラコのカレー漬けみたいなものも出た。
皆疲れているらしく、部屋でも、あまり持ち込みのウイスキーは飲まずに、寝ました。やっと、ホテルのWi-Fiが使え、ソチオリンピックのことが、しっかりと分かるようになった。なにせ、こちら南国では、冬期オリンピックなど、誰も関心があるはずもなく、どこ吹く風であった。そういえば、子供の長野オリンピック休みで、座間味にクジラを見に行き、非県民をしたこともあるが、暑い中でも、原田がジャンプを跳ぶのを、テレビでしっかり見ていたことを思い出す。
2月12日、今日は、ブキティンギという観光地へ出かける。あまり観光には興味がないのだが、ごみが落ちていそうもないところへ行けるのはうれしい。
ここの、ネイティブ民族である、ミナンカバウ族の伝統的な宮殿。水牛の角のような、屋根が特徴的だ。
ホテルには戻らず、夕方の飛行機で、ジャカルタ、トランジットで、さらに、バリ島のデンパサールに飛び、深夜の便で、関空へと帰還。2月13日朝、そのまま、まともな10人乗りのタクシーで、松本へ帰りました。14にの午前中、私は、さっそく大雪になる前に上高地へ施設点検に行ってきました。
14日の午後からの大雪は、みなさん、ご存じのとおり、松本で75センチも降って、休む暇もなく、雪かきに追われました・・・( ;∀;)
ジャカルタの村田様? ここのところ、春山で後輩が遭難して、捜索活動をしており、あわてて、せっかくいただいたコメントを、間違えて削除してしまいました。申し訳ありません。できれば、もう一度、コメントしていただけないでしょうか?
村田様 別の場所から、村田様のコメントが見つかりましたので、載せさせていただきます。
ジャカルタ在住の山好き男です。
赤石岳避難小屋の榎田さんつながりでブログを拝見させていただきました。
私はジャカルタにグヌン会というJWC(ジャカルタウォーキングクラブ)の中の一派がありそこに入っています。
いつかはグヌンクリンチへ行きたいと思ってましたので貴重な情報でした。ありがとうございます。
ちなみにジャカルタのそばにもグデ、パンガランゴという3000m級の山があります。ここのごみも大変酷い!テントサイトなどは残飯があちこちに散乱しています。山頂もゴミだらけです。インドネシアはあるときから道徳教育をしなくなったらしく何処へ行ってもこんな有様です。インドネシアの人が日本へ大量に来たらどうなるやら、大変心配です。
なお、写真の7人乗りのバンですがスズキ製です。アリーナはマスコットネームで社名は正式にはAPVといいます。マツダはインドネシアに工場は持っていませんし、APVをOEMはしていません。三菱には出していますが。
村田 様
ブログの中の自動車のメーカーの間違いは、直させていただきました。関係の会社の方でしたら、大変失礼いたしました。
西糸屋 奥原