バックカントリースキーの履歴書3

 あまりに、ブログの更新が遅いので、周りの皆さんから顰蹙を買い、スタッフブログを開設して、スタッフに書いてもらうことにしました。

さて、履歴書1と2に書いた、1978年「槍~立山スキー縦走」のあと、アラスカに渡り、植村直己さんも登った、サンフォードという5000m程度の山をスキー登山し、帰国。 その後、シャモニでテント生活を2ヶ月ほどやりながら、モンブラン・ブレンバフェースや、ミディ南壁など、そこらへんの岩場を登り、冬はスイスに移動して、山岳ガイドさんの家に下宿させてもらい、スイスの色々な山を一緒にスキーで滑りました。この間に、故森田勝さんの、グランドジョラス単独登攀のサポートに出かけたりもしました。

3月には、ローゼンラウイ(グリンデルワルドの反対側)から地元のガイドたちに混じって、一日でヴェッターホルンをスキー登山することができました。しかし、バテました。4月と5月には悪天候のため、2回にわたる攻撃で、シャモニ~ザスフェのオートルートを、なんとか滑り終え、年貢の納め時と、帰国して就職しました。

その後、スキーでは、3月の畳岩の中央ルンゼも、登って滑ったのですが、なにしろ、「落ちてきたら拾ってやる」とルンゼの入り口で、犬と待っていた父が、コンパクトカメラで撮った私が点のように写っている写真しかないので、その後、今頃の季節に滑った、奥穂直登ルンゼ~前穂北尾根3・4のコル~奥又白C沢~松高ルンゼの写真があったので、載せておきます。もちろん若かりし時です。

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北尾根3・4のコルからC沢へドロップ

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滑り終えて・・・ 足元は地元民の長靴に変わっている。

もう、一月もすれば、開山祭ですね

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 3月22日、快晴で、気温は7度~10度と異常な暖かさの中、施設の点検へ。 暖かさで落ちた雪や氷で、屋根や煙突が破壊されていないかとびくびくしつつ・・・ 玄関前は、風で雪が飛ばされるので、問題はありませんでした。平均の積雪は80センチから1メートルくらいに減っていました。

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ベランダから見る穂高です。そんなにむちゃくちゃ雪が多いとは思えません。やはり融けたのでしょうか? 雪崩の跡もところどころ見えるものの、上高地周辺では、底雪崩はまだ出ていませんでした。これから入山される方は、十分注意して下さい。

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2月3月と雪下ろしをしたり、心配したりしていた、屋根の上の雪です。二階の屋根の雪はすっかり一階に落ちて、それが融けながら、滑り落ちている感じです。このまま、大雪が降ったりせずに済めば、小屋開けの雪堀りもそんなに大変ではないかも )^o^(

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横から見るとこんな感じです。雪が庇を巻き込んで、壊したり、窓を壊したりしないことを祈ります。 心配していたボイラーの煙突も、2階からの雪によって破壊されずに済みました。一安心です。 従業員の雪堀隊の皆さま、昨年や一昨年よりは、しんどいと思いますが、なんとかなりそうですので、一緒に頑張りましょう!

ガスカートリッジなどを売店に置きます。

 遠方(北海道とか九州)から、飛行機で登山にお越しになるお客様は、ストーブのガスカートリッジを持ち運んで来ることができないので、上高地のインフォメーションセンターなどで、お買い求めをいただいていましたが、開いている時間帯に間に合わなかったりして、大変な思いをさせてしまっていました。

  この度、EPIガスで有名なユニバーサルトレーディングさんのご協力により、西糸屋の売店でも、230パワープラスカートリッジを、置かせていただくことになりました。夏でも穂高などでは、レギュラーでは火力が落ちる可能性があるからです。

 また、アマノフーズの、フリーズドライ食品(カレーや味噌汁など)も、若干ですが置かせていただきます。

 あと、aquaの身体を拭くシートや、頭を拭くシャンプーシート、非常用のヘッドランプなど、そして、Munkeesのアクセサリーも置かせていただく予定ですので、御期待下さい。

昔のような積雪量になっています

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3月6日、いつものように、建物の点検に行ってきました。 ちょうど1か月前にも来たのですが、今回はちょっとびっくりしました。噂には聞いていたのですが、前回よりも、30センチから50センチくらい積雪が増えていたのです。メンテ用の冬期小屋の屋根にもたっぷりと雪が乗っています。 上高地の平均積雪は150センチくらいでしょうか・・・

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2月に雪下ろしをした1階の屋根に・・・ 2階の屋根の雪がまた落ちて、すごいことになっています。もし、雪下ろしをしなかったらどうなったかと思うと(^_^.) 今回は一人で、とてもやる気にならず・・・

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さらに、渡り廊下の屋根にも二階の窓に届いてしまう雪と、二階の屋根の雪がたっぷり・・・ これが暖かいと一気に落ちてきて・・・ ボイラーの煙突などを破壊することがあるのです ((+_+)) 明日から、さらに暖かい日が続くとのこと、とっても不安です。

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帰りは、焼岳が見送ってくれました。 積雪が多く、エキスパート向けですが、遅くまで、スキー滑降が楽しめそうです。 )^o^(

厳冬期?の六百山

2月5日から7日まで、従業員3人と、上高地に行ってきました。 昨年の11月の山じまいの飲み会で、酔っぱらった私は、2月にウインターミーティングを西糸屋の冬季小舎でやるのだと、のたまったらしいのだが、本人には記憶がなく、スマホに記録されていた(^_^.)

さて、沖縄でサトウキビを刈っていたA君、松本在住のやはりA君、そして茨木から駆け付けたS君のアラサー(若い!)の三人と朝四時にコンビニで待ち合わせて、車一台で上高地へ向かう。昨晩は、銀行の新年会に出ていた私をはじめ、遅くまでクライミングジムで登っていた2人と夜のバスで遅く着いた1人は皆寝不足である。

釜トンネル上の工事があり、当然釜トンネルから歩きで、河童橋へ。前日は雨で、今日は晴れて、とても冷え込むということだったが、意外と暖かく、トレースを外すと潜ってしまう。ちょっと不安を覚える・・・

焼岳

7時ころ河童橋に着く、いい天気だが、意外に雪が少ない。焼岳に日があたってきてきれいだ。

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河童橋の上は、人の足跡は無く、静寂そのもの! メンテ用の冬期小舎に向かうが、ボソボソと潜ってしまい、体力を消耗する。小舎に余分な荷物を置いて、いよいよ、公衆トイレの下から、中畠沢に入ってゆく。もちろん潜るので、わかんを付けているのだが、雪の状態が悪く、時々ずっぽり潜る。年寄りには辛い登りだ。

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ルートを知っているのは私だけなので、ガイドなのだが、皆の後を、ゼーゼー言いながら、遅れて付いてゆく情けないガイドだ。それでも、やがて、樹林帯を抜け、沢に入ってゆくと、デブリ(雪崩の跡)となり、沈まなくなってきたので、ちょっと復活!アイゼンを付ける。登るにつれて、後方の穂高がどんどんせりあがってゆく。2月の沢は、普通は入ってはいけないのが常識だが、この沢は、日が当たらないし、父とスキーの練習で2月にもよく来ていたから、大丈夫かどうかの判断はできる。

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もうすぐ稜線なのだが、沢は氷化してカチカチとなってきたし、時々カラカラと氷が上から落ちてくる。この上もアイゼンで快適に登れると思っていたが、ここからが大変だった。表面は堅い最中雪、中はグラニュー糖のような雪、全然進まなくなってしまった。なんとか稜線にでたものの、状態は変わらない。アイゼンとわかんを両方付ける技をつかってもダメ・・・

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なんとか、雪をだましだまし登ってゆくが、不安定なことこの上なし。時間もタイムリミットの13時に近づいてきた。

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頂上手前のピークで、今日はよしとしよう。標高差で100Mだが、無理して登っても、帰りがつらいし、なんといっても、隊長の私の体力がもたないだろう(^_^.)  しかし、2月とは思えないほど暖かい。風もなく、昼寝をしたいくらいだ。下りに、安全のため、1ピッチだけ、45Mのロープフィックスしたが、下りとなると、皆早い。さっきまでバテていた私もうそのように、バンバン下る。氷化した部分の下りには慎重に時間をかけたが、日が高いうちに河童橋に着いた。

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雪は少なめだが、やはりここからの景色は別格だと思う。 冬期小屋に戻り、水汲みをしたり、ストーブに火を入れたり、生活できる準備を整え、まずはビールで乾杯!

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次の日は、打って変わって、湿った雪が降っている。今日は、施設の見回りをして、その後は、クロカンのスキーで遊ぶ予定だったが、世の中そんなに甘くない。裏を見に行って驚いた! いつのも2倍の雪が一階の食堂の上に二階の屋根に届くほど載っていて、建物が潰れては大変と、急きょ雪おろしとなった。いつもは一人だが、こんな時4人でやると仕事がはかどる。)^o^(

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なんとか雪を下し終わった。おじさんは、腰が痛くなってしまった。若い人と一緒のペースでやるとダメだと分かった。午後は、施設内の見回りを皆でやり、夕方には晴れてきたので、若い衆をクロカンをやってこいと追い出して、一人の時間に浸る。

翌日、下山したが、2月の平日というのに、30人くらいの人たちとすれ違ってびっくりした。

 

営業終了!

11月11日、お泊まりのお客様を、お送りして、本シーズンの営業を終了させていただきました。 天候には比較的恵まれ、土砂崩れなどによる交通止めも無く、上高地としては、平穏なシーズンだったといえます。

しかし、西糸屋では、大小2つあるボイラーが、両方とも壊れてしまうという、大変なアクシデントに襲われ、一時はお客様にお風呂にも入っていただけないかもしれない可能性もありましたが、業者の皆さんの献身的な、頑張りで、避けることができました。感謝です!

 昨年は、一昨年の4分の1まで落ち込んだ、外国(特にヨーロッパ)のお客様は、一昨年までの水準には程遠いものの、だいぶ戻ってきていただきました。

これから、慌ただしく、小屋締めを行い、16日頃には、下山の予定です。それまでライブカメラは稼働できると思います。HPをご覧いただいた皆様、本当に有難うございました。

忙しくて、ツイッターしかできなかったシーズン中ですが、これからは、ブログも更新できるようになると思われますので、宜しければ、ご覧ください。<m(__)m>

インターネット予約の記念品やっと到着!

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 毎年、西糸屋のHPから、ご予約をしていただいたお客様には、お手数をかけましたということで、記念品をさしあげているのですが、今年は、海外からの輸送の途中で、事故があり、やっと今日、上高地に届きました。

自動的に膨らむマットで、お尻に敷く程度のサイズのものなので、ザックの片隅か、外につけて、雪の上で休んだりするときに、サッと取り出してお使いいただけるように考えました。昔でいえば、尻革ですね。といっても知っている人は少ないでしょうが・・・(^_^;) ちなみに、販売はしておりませんので、ご了承ください。

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記念品の、難しいところは、お持ち帰りや、山に持って登られることを考えて、まず、軽いこと、そしてあまり大きくないこと、実用的なこと、山の中で使えること、あまり変なものでないこと、そして、もちろん予算内で、などなど、1月頃からサンプルを取り寄せ、悩みに悩んで決定します。

発注は、元従業員で、某*PIガスに勤めていて、貿易もやっているI君に、いつもお願いをしています。さて、お客様に喜んでいただけるでしょうか?

入山しました!

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4月17日、上高地へ入山しました。道路の除雪は終わってはいましたが、氷の轍で結構大変でした。しかし、一昔前は、当面の食料を持って、大正池あたりから歩いていたのですから、文句は言えません。

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河原沿いのベンチも半分くらい顔を出していて、連休の頃には、残雪も無くなりそうです。上高地の平では、樹林帯の中でも、50センチもありません。

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河原にも残雪がありましたが、氷の層はなさそうなので、早く融けてしまいそうです。

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毎年のことですが、お決まりの、雪堀りから始まります。雪が少ないとはいえ、新人の皆さんにとっては、大変かもしれません。皆さんの頑張りで、初日にも拘わらず、水源地の設置も完了しました。(^◇^)

バックカントリースキーの履歴書2

1978年3月16日、最初は上高地までの予定だったので、沢渡を9時過ぎに歩きだすが、天気を考えて、無理してでも槍沢ロッジまで行くことにした。重荷と、桟道そして、暗闇中のヘッドランプのスキー歩行で、着いたのは夜8時前になってしまったが、バテていても、槍沢を朝になる前に登ってしまわなければ、雪崩の危険性があるので、朝4時前には出発し、坊主の岩小屋でアイゼン、槍の頂上は登らず、樅沢岳へ、最初のスキー滑降を終えて、16時に双六小屋。

18日、2日間頑張りすぎたので、今日は三俣蓮華を越えて、なつかしの黒部五郎小舎までとする。

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快適に稜線を、三俣蓮華岳に向かう。きつい登りは、シールが効かず、腕がパンパンになる。三俣蓮華からは、最初はクラストしていたが、快適なスキー滑降で、最後はパウダー (^。^)

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黒部五郎岳をバックに快適に滑る。

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クラストしていて、ちょっと緊張する。

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雪に埋もれた、黒部五郎小舎、冬期小舎のみが出ている。右上の斜面のパウダーを降りてきたのです。

19日は悪天で滞在、20日には黒部五郎岳を越えて太郎小屋まで・・・ 頂上からの下りの最初は氷になっていて、少し流されてしまって(滑落ともいう)緊張するが、太郎小屋までは、ほとんど登りが無くて、スキーの上に立っているだけで着いてしまった。

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21日、天気が崩れそうだが、太郎小屋に、単独で折立から登ってきていた愛知大山岳部OBの方と一緒に薬師岳へ向かい、頂上で写真を撮ってもらう。この日は、この後吹雪となり、スゴ乗越まで。22日と23日と吹雪で滞在。食料をたくさん持ってきて良かった。

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24日、スゴから五色ケ原まで、大きなシュカブラと越中沢岳の登りに苦労して、辿りつく。

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25日、ザラ峠を越え、鬼岳でザイルを組む。浄土山の頂上で剣をバックにゆっくり休み、一の越へ

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26日、一の越から、雄山をアタックし、天狗平の手前までは、シールを付けたまま。ここでシールを外し、ワックスを塗って待望の大滑降だ。薬師をバックに、軽くなった荷物で、美女平まで飛ばす (^。^)

この夜は、富山のビジネスホテル泊りだったが、黒部五郎小舎の見回りの報酬?の2万円を握りしめ、今ならすぐ・・・クラとか・・・パブに行くところだが、35年前は食い気のみ。とんかつ屋から始まり、うなぎ屋、そして寿司屋と酒もほとんど飲まずに食いまくり、最後はパフェで締めた。 不思議なことに腹をこわさなかったのは、若かったからだろうな(^_^;)

ついでですが、卒業が危ぶまれていた私は、この山行中に卒業できることになっていたそうな。もちろん卒業式も出れずに・・・

バックカントリースキーの履歴書1

そろそろ、各地のスキー場も、終了を迎えようとしています。でも雪の多かった北部のスキー場は、延長するところもあるようです。

ごれからは、本格的にバックカントリースキーのシーズンになります。昔は、山スキーなどと言っておりました。この季節には、子供の頃から、父に連れられて、スキー場を飛び出し、鈴蘭~乗鞍岳~平湯~西穂山荘~上高地、妙高山、栂池~蓮華温泉(雪倉岳)などは、高校生くらいまでで登りました。道具は、ほとんど、ゲレンデスキーのもので、足の上がるビンディングなどは、親父しか履いていませんでした。

大学で山岳部に入りましたが、山スキーは盛んではなく、一年生で冬の剣の早月尾根を登った時などは、個人装備と団体装備のほかに、嗜好品の一部として190センチのスキーを担いで行き、帰りに荷物をいっぱい背負わされて、スキーができず、番場島から伊折まで、先輩が自分のスキーで滑ってゆくのを悲しく見送った覚えがあります。(;_;)/~~~ でも、早く着いて、待っていた先輩は、風邪を引いたそうな・・・ 天罰?

 このころ、思いはヨーロッパのオートルート(シャモニ~ツエルマット~ザスフェ)にありましたが、心に秘めて、岩登りや冬の縦走などの合宿を頑張っていました。4年生になり、リーダーになったものの、山スキーを主体にするわけにもいかず、たまたま、小樽に居たことがある一年生が入ってきたので、特に可愛がって鍛え(^_^;)、春合宿が無事終了した後、2人で個人山行として、槍ヶ岳~立山のスキー縦走をすることができました。1978年の春の事です。

 なにせ、二十歳やそこらの2人が3月に黒部の奥地に入るのですから大変です。当時は、携帯も無く、孤立無援になることも考え、営んでいた黒部五郎小舎に一週間分の食料と酒(合宿では禁止)をデポしておいたのですが、それでも荷物は20キロを超えました。スキー登山靴などはなく、バーゲンで買ったメタルのショートスキー(折れてもなんとか滑れるのではと思った)にその頃出始めた、ワイヤー式のジルブレッタ(換えのワイヤー3本)を付け、シールなどは、3000円で売っていたナイロンと布のをナイロンの部分を外して、カーペット用の両面テープで張り付け、立山の一の越まで貼りっぱなしで、滑る時も大丈夫でした。と書くと、快適なように思われますが、滑るのはいいとして、登るときにも滑っていまい、腕の力で登ったようなものです・・・  2に続きます